男のさが
夫婦の関係で妻の役割とは何でしょうか。「共働き」という言葉から暗いイメージがなくなり、自立する女性の新しい生き方を感じるようになった現代では、家庭の中での妻の役割が少しずつ変化してきました。しかし、最も基本的な人間関係としての夫婦を考える時、今も昔もさほど変わらないような気がします。聖書では、「妻たちよ、あなた方は、神様に従うように、自分の夫に従いなさい。」と教えられています。これが書かれたのが今から2000年ほども前のことですから、時代遅れも甚だしいと思われるでしょう。しかし、よく聞き従う女性を愛さずにはいられないのが男の性というもの。愛される妻とはズバリ!「従う」妻なのです。
女性は社会の要
日本の家庭教育が世界の最高水準にあった時代の妻達は、この聖書の教えのとおりの生き方をしていたと私は思っています。家庭の中で夫を敬う母の姿を見て、子供達は権威について学んだでしょう。権威の力を知っている人間は社会的なモラルも高いのです。また聖書では、「たとえ悪い夫であっても、あなたがたのうやうやしく清い行いを見て・・・救いに入れられるようになるであろう。」とも書かれています。そのような妻の態度は男性をも清くする力があるのです。妻の役割とは、社会人現役の男性を清め、将来の担い手である子供達を正しく導く、まさに社会の要と言っても過言ではありません。
夫の役割男性の責任
男性に求められるもの、それは大きくて深い「愛」で言い尽くすことができます。聖書では、「自分の身体のように妻を愛しなさい。」と教えられています。そのほか、「自分自身を愛するように・・・」あるいは、「キリストがしたように・・・」とも。この「愛する」という行為がどれほど崇高で成し難いかを思うとき、男性に与えられた責任の重さを痛感せずにはいられません。現代の夫婦問題の多くは、そのような「愛する」覚悟が男性に足りないためだと思っています。愛の定義が聖書の中にこのように書かれています。「愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、不正を喜ばずに真理を喜びます。すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。」私は特に後半の「すべてをがまんし・・・」以降を見るとき、完璧に打ちのめされてしまうのです。
亭主関白
先輩方の意見としてよく耳にすることに、「女に文句は言わせない」だとか「黙ってついてこい」など亭主関白的なやり方がありますが、確かにそういう愛情の表現もあるでしょう。男性にはそれぐらいの頼もしさが必要なのかもしれません。しかしその場合、女性の喜びについて何らかの配慮が必要ではないかと思っています。やり方は様々でも、男性には女性のすべてを受け入れる度量の大きさが求められていることに間違いはありません。
未来に続く平和
「女性は『月』のようで、男性は『太陽』のよう。」というたとえを聞いたことがあります。女性は満ち欠けする月のように、肉体的にも精神的にも一定周期で変化します。一方男性は心身ともに常に安定し、いつでも輝く太陽のようです。聖書には「夫たちよ、妻が女性であって、自分よりも弱い器だということをわきまえて妻とともに生活し、いのちの恵みをともに受け継ぐ者として尊敬しなさい。」と記されています。夫の役割とは、妻が安心して生活して行けるよう安定した環境を提供し、どのようなときにも妻をいたわりその心を満たしてあげることです。そうすることで家庭内は安定し、子供たちも両親を敬い、未来に続く平和が家庭から作られて行きます。
夫婦間の礼儀作法最も大切な物
それは言葉です。すべてを築くのも壊すのも、その始まりは言葉です。夫婦に限らず人間関係を健全に保つためには、ある程度の礼儀作法が必要です。最も分かりやすい例えですが、子供に教える言葉遣いを連想してみてください。子供が使ってはいけない言葉は大人であっても同じこと、口汚い言葉は気持ちを伝える手段にはなり得ません。誰かを傷つける目的で言葉を発するのはルール違反です。なぜならば、受け取る側に防御する術が無いからです。口から出た言葉はよくも悪くも必ず自分の所に帰ってきます。良い言葉を発していれば、親切や思いやりとなって、悪い言葉は不道徳や不従順となって帰ってきます。夫婦の間で気遣い無く交わされる無神経な言葉は、長い月日を経てうずたかく積もり、やがて堪え難いせめぎ合いに満ちた関係を生み出すかもしれません。例え夫婦といえども、別の人格に対する行動なのですから、思いやりや気遣いが必要です。そのための努力は、必ず良い報いとなって現れることを忘れてはいけません。