アンテナの感度を上げよう!
written by satoru
大切な人の仕草に、いつもと違う何かを感じたときには、そのままやり過ごさずに、それが何かを考える必要があります。人は意識していなくても、思いを常に表現しているものです。いつも側にいる人の何気ないそぶりの中に、大切にしなければならない信号が紛れています。
そのような危険信号は、たいてい日常の様々な出来事に紛れて初めての出来事のようにごまかされてしまったり、互いの関係に対する不満が原因であるはずなのに、どうでも良いことにすり替えたりしてなんとか気づかれないように繕ってしまうため、なかなかその信号を識別することができません。アンテナの感度を上げて、キャッチした信号を解読し、その原因究明のため即行動に移すことができるなら、愛に満ちた人生を送ることができるでしょう。
聖書って意外!
written by satoru
「花嫁よ。あなたは私の心を奪った。あなたのただ一度のまなざしと、あなたの首飾りのただ一つの宝石で、私の心を奪ってしまった。」
じつはこれ聖書の言葉なんですよ、意外でしょ。まるでラブレターみたい…。って「ラブレター」がそもそも死語かも…。
聖書ってお固いことが書いてある本ってイメージがないですか。ホントのところ、恥ずかしいくらいの愛の言葉や、「これなに?」と思える言葉がたくさん書かれているんです。ここで少しご紹介しましょう。
っえ!鳩ですか? 鳩?? これは国民性の違いと言うのでしょうか。鳩のような目ってどんな目?
今度は馬です。日本の女性にこう言ったら即サヨナラですね。でも競馬好きな女性にはありかも…。でも西洋ではよく女性を駿馬に例えることがあるようですね。わがままな女性を「じゃじゃ馬」と表現したりもします。
なんか、詩的でドラマティックですよね。確かに人を愛すると、とんでもない力を発揮することがあります。
働き者の女性ですが、乙女心がなんだかカワイイ。
当時のイスラエル女性は、匂い袋を胸の谷間に忍ばせるのがオシャレでした。その匂い袋を彼に例えています。 ちょっと〜、セクシーじゃないですか〜?
愛する人の腕枕で寝るって女性の願いなんでしょうね。私は最近いびきがひどいらしく、妻はいつもそっぽを向いて寝ています。ああ、せっかくの聖書の言葉が〜 。
女の決心
written by satoru
妻は毎年のように「今年は痩せるぞ〜」とか「強い女になるぞ〜」とか途方もない目標を立てています。そのくせ、生活態度はまったく変化せず、毎年年末には同じように「悔い改め」をしているのです。今年も御多分に洩れず何やら目標を立てたようですが、例年と少し違っているのです。
近頃妻は寝る前に本を読んでいます。その本のタイトルが「自分を鍛える」と言うもので、古本屋さんで100円で買ってきたものでした。その本の影響もあって、妻は私にこう宣言いたしました。「私は変わりま〜す。」いったいどう変わるの?と聞く私に「ホントにやりたいことがあるのに、全然違うことをやっているのは悔しい。だからホントにやりたいことができるように生活を改善します。」との事。朝っぱらから妻の決心を聞くはめになり、覚悟を決めてよくよく話を聞いてみると、とりあえず、生活改善の第一歩と言う事で「早寝早起き」を実施すると言うのです。例年と違っている点は、目標が具体的で実現しやすいと言う事です。一つ一つ克服していくその姿勢に私も大賛成。なぜか一緒に?頑張ろうと言う事になり、妻はとても元気いっぱいです。特に、100円の投資でこの決心ができた事には、大いに自慢し笑み満々で私を見ています。
むかし、むかし・・・
written by satoru
私の妻には七つ違いの弟がいます。二人兄弟ですからとても仲がよく、二人がまだ子供の頃、弟をいじめた悪ガキに仕返しをしたことがあると彼女は語っていました。弟のいない私にも想像できますが、やはり可愛いものなのでしょうね。
ある日、彼女が弟と電話で話をしているときに、ちょっとしたことで口喧嘩に発展しました。電話を切ると彼女は、私に同意を求めるように弟の悪口を言ってきたので、私も思ってもいない悪口を一緒になって言っていると、「私の弟はそんなに悪い人間じゃない。ちょっと言い過ぎじゃない?」と、先ほどまで弟に向けられていた怒りが、矛先を変え私に向かってくるではありませんか。「ええっ、ちょっと待って、冤罪だー!」と思いつつとっさに繕いましたがすでに手遅れ、しばらくの間冷戦状態となったのは言うまでもありません。「何があっても決して伴侶の家族を悪く言ってはいけない。」ということを学んだ貴重な体験でした。
新婚でラブラブだった私たちに突如訪れた青天の霹靂。また同時に、「女性」の複雑な精神構造を垣間見て、その深淵なる神秘に触れた瞬間でした。むかし、むかし、当時22歳の若造であった私のほろ苦い体験でございます。
こいつぁ春から縁起がいいねえ
written by satoru
お正月も3日となり街も少し落ち着きを取り戻しつつあります。妻を誘って犬の散歩に出かけました。妻はこれが今年始めての外出です。いつもの散歩コースで美しい富士山の雄姿を眺めつつ、しばらく歩いていると、鷹を片腕に乗せた鷹匠?が現れました。以前にも見かけたことがありましたが、この所沢で鷹を飼っている方がおられるのです。すると妻が「富士山に鷹ときたら後は茄子だね」というので、それなら買い物に行こうということになり近くのスーパーマーケットへ直行。
ありました、茄子です。でもちょっと小さいのが少し残念ですが、どうやって調理するかは後で考えるとして、かごの中へ。その他の買い物を済ませ、帰り道で妻がまたこう言いました。「でも『一富士、二鷹、三茄子』って初夢に見ると縁起がいいんだよね。実際に見かけたからと言ってどうなんだろう?」そうか! 夢で見なきゃダメなのか。とふたりで顔を合わせて苦笑い。まあ、茄子は大好きな食材だしいいか!っと即解決。今日この勘違いで一番被害を受けたのは、寒風吹きすさぶ中、スーパーマーケットの外で私たちを待っていた愛犬コンタであったのです。
今日はコンタに何かおいしいものでも食べさせてあげようかな。
※写真は日本平からの富士山
タマネギジュースもタイミング
written by satoru
皆様はタマネギジュースをご存知ですか? 先日お世話になった方からお歳暮を頂きまして、その中身が「オニオンジュース」と「玉ねぎ黒酢」でした。オニオンジュースの方はとても飲みやすく爽やかです。適度な甘みがあるのですが、砂糖ではなく梨の甘みだとか。さすがチャングムの国、韓国製品です。
ちょっと風邪気味であった私は内熱があり怠かったのですが、水代わりにオニオンジュースを飲んだ翌日はすっきりとして気持ちのよい朝を迎えることができました。玉ねぎ黒酢の方は、まさに「玉ねぎ」そのもの。かなり凝縮された感じでそのままではとても口に入れることはできません。匂いを嗅ぐだけでめまいがしそうです。説明書によると、オニオンジュースに2、3滴混ぜて飲むと良いようです。あとお料理にも色々使えそうですよ。玉ねぎが健康に良いことは知っていましたし、我が家では比較的によく食べる方だと思います。しかしこれをジュースにしようと思った韓国人の思い切りは誉めてあげたい。いつでも気軽に飲めるのはGood!
最近チャングムの再放送を逃さず見ているせいか、自然の食材が持つ効能みたいなものに関心を持っていました。そんな時だったからこそ「オニオンジュース」も抵抗なく飲むことができたのでしょう。物事のタイミングって本当に重要ですよね。
どうにもならないこと
written by satoru
新しい年を迎えるこの時期に、決まって決心することがあります。それは「来年こそは痩せるぞ!」というものです。私が太り始める前までは、同じような決心を繰り返す妻に「聞き飽きた」などとヤジを飛ばしていましたが、いざ自分自身のことになると、さっぱり成果が上がらないのです。以前に何度も体重が増えてはその度に節制をして元に戻していた私には「いつでも体重を落とせる」という自負がありました。しかし、近頃体重を元に戻すことができません。ポッコリと出たお腹はなかなかひっこんでくれないのです。
だからといって太っていく妻をただ黙って見ているわけにもいかず、散歩やサイクリングに誘ってはダイエットのきっかけを作ろうとするのですが、出不精の妻には疎まれる一方です。「犬でも飼えばいやでも散歩に出かけるかな」と飼い始めた犬の散歩はすっかり私の仕事になってしまい、若い頃二人でよくやった卓球を近くの公民館で
やろうと言って買いそろえた卓球セットも一度も使われずじまい。同じようなものに、バトミントンセットやフラフープ、なんとかブレードとかいうトレーニングアイテムがあります。みんな押し入れの肥やしになってしまいました。
そんなことを言う私も、本格的なダンベルセットや、ベランダに手作りしたトレーニングジム?も2・3回使ったきり。ボウリングボールは、カルトナージュを制作する時に、布箱の形状を安定させるために使う重石になっています。自らを律し目標を達成するアスリートたちは本当に偉い!その実行力は尊敬に値します。
何はともあれ、一向に引っ込む気配を見せないお腹をさすりながら、おいしい夕食とビールにきょうも舌鼓を打つんでしょうね。こればかりは何ともなりません。
クリスマスの精神
written by satoru
今年もクリスマスの季節になりました。この季節になると街並が一気に華やかになり、なんだか浮き足立ってしまう感じがするのは気のせいでしょうか?
先日、友人の主催するクリスマスチャリティーコンサートが早々と行われ、今年も裏方として参加してきました。今年は、アメリカ東部を襲ったタイフーン「カトリーナ」の被害に対する援助活動の一環として、現地で活動しているボランティアの方々も迎えて行われました。辛い状況にある人々に、せめてクリスマスの時だけでもあったかい心に触れてほしいと願っています。
「若草物語」の中で、クリスマスの日の場面が描かれています。朝から家族みんなでおいしい御馳走を準備し、出来上がった品々を地域の寂しく暮らす孤独な人々に届けるのです。決して裕福ではないその一家は、自分たちよりも厳しい現実に置かれている方々を忘れることはなかったのです。料理を楽しみにしていた子供たちはがっかりしますが、母親の「与える心」の豊かさに、クリスマスの精神と共に提供することの痛みを学ぶのです。与える側に間違った心があると、施しはさげすみとなり受ける者の心をくじきます。痛みをともなってもなお愛してやまない心こそが、荒んだ心をあたたかく包むことができるのでしょう。
クリスマスはキリストの誕生日として世界中で祝われますが、そのキリストが私たち人類の身代わりとなって死なれたことは有名な話です。つまりキリストは「命を与えるためにお生まれになった。」という事実から、クリスマスには「与える」ことが習慣として教え継がれてきたのです。クリスマスの精神は、「ただひたすらに与えること」に大きな意義があるのです。