リンゴはえらい!
written by satoru
リンゴには優れた効能がたくさん備わっています。私が子供の頃には「医者いらず」と言ってたような記憶がかすかに残っています。欧米でも「一日1個のリンゴは医者を遠ざける」ということわざもあるぐらい、その健康効果には目を見張るものがあるのです。気になる効能を書き出して見ましょう。
ウチナーグチ
written by satoru
今流行の?沖縄方言(ウチナーグチ)を一つご紹介しましょう。
私の母は今年83歳。立派な沖縄オバーとなり、実家では置物のように床の間に鎮座しております。10年ほど前、父が天に召される時まで、母は父を「雲上」(ウンジョウ、あるいはウンジュ)と呼んでよく仕えておりました。字のとおり「雲の上のお方」という意味を持っているようです。私は子供の頃から普通に耳にしていたのですが、その意味を知ったとき、男としてとても感動したものです。しかし、普段から夫婦の間でこれほどの敬譲語を使う状況は、現代人の私たちには到底考えられません。私はその言葉の美しさに強く心を惹かれるのです。
結婚式等でもよく用いられる聖書の言葉で、「妻たる者よ。主(神)に仕えるように自分の夫に仕えなさい。」という言葉があります。まさに沖縄のオバーたちは、その教えのとおりに振る舞っているではありませんか。よくよく話を聞いてみると、「敬いもするが、しっかり操縦桿は握っているよー。」とのお答え。恐れ入ります。もちろん、夫に対する教えもしっかり記述されていますよ。「夫も自分の妻を、自分の身体のように愛さねばならない。」とね。仕える事と愛する事、どちらが楽かって事を考えるようではいけません。また、どちらが先?というものだめです。なんだかこんな事を言っていると、身につまされる思いがします。やはり、「雲上」と呼ばれるためには、それなりの人格を備えなければいけないという訳ですね。
美しい盛りに
written by satoru
仕事場の窓から、道向かいのお宅の庭のケヤキがよく見えます。季節を感じさせてくれるそのケヤキは、今年も徐々に色づき始めていました。北側から南側へ向かって美しいグラデーションが、冬の到来を暖かく告げてくれるのです。仕事の合間に眺めては、ふっと力が抜けていく安心感を私たちに提供してくれていたのです。
しかし、今朝騒々しい物音にさそわれ窓の外を眺めてみると、次から次へと美しい枝が切り落とされていくではありませんか。「なんという浅はかなことをするのだろう。」と憤りさえ感じたのですが、よく考えてみますと、これから紅葉が進むにつれ落ち葉の季節となります。二階建ての屋根も遥かに超えて育ったそのケヤキの落ち葉は、それこそお掃除が大変だろうなと思うのです。屋根の上や雨樋のなかに散った落ち葉はなかなか面倒なものです。どうせ散るのならその前に切ってしまえと思ったのでしょう。美しかったケヤキも立場を変えて見るならば、迷惑なゴミをまき散らす厄介者だったのかもしれません。
立場が違えば物事の見方も大きく変わってきます。問題はその違いを受け入れる事ができるかということにあります。こうして、私たちに季節の香りをくれたケヤキの木は、美しい盛りにその枝を切り取られてしまう事となったのです。少し寂しい気がしますが、そのケヤキはへこたれる事なく、また来年の春には緑の葉を茂らせ、心躍る季節の到来を告げてくれることでしょう。
(写真は紅葉するイチョウの木)
アロエの効能
written by satoru
私がまだ小さかった頃、よく母に頼まれて隣のお宅のお庭にアロエを取りにいきました。もちろんそのお宅のおばあさまの許可を得てからのことですよ。沖縄ではアロエのことを「ルガイ」と呼び、万能薬として庭に植える習慣がありました。聖書の中では「ろかい」と呼ばれ、尊い香料と記されています。よく覚えてはいないのですが、母はこのルガイをよく利用していました。擦り傷、切り傷、虫さされや火傷などの時には、決まってルガイを塗るのです。私はわんぱくであったので、年中ルガイのお世話になっていました。トゲトゲを切り取り真ん中から開き、幹部に湿布のように貼付けます。子供の頃は効果など実感はありませんでしたが、先日妻が火傷をしたときのことです。
我が家のベランダの貧弱なルガイのひと葉を切り取り、幹部に当ててみました。しばらくして大きな水ぶくれとなりましたが、妻いわく「後の痛みがまったくない。」とのこと。その後の経過も非常に良く、やがて傷跡も確認できないほど回復しました。その日以来我が家ではルガイの地位が格上げされたのは言うまでもありません。
また母はこれをよく食べていました。皮を剥いた中はゼリー状で少し歯ごたえがあり、これと言ってクセはありません。アロエには胃を洗浄する効果があると聞いています。今思えば、大らかで明るい母にも、胃の痛むような悩みがあったのかな?などと思いめぐらし、苦労の多かった母に少しは親孝行しなくてはと、この歳になってつくづく思うのです。さんざんお世話になったルガイですが、私の心には効き目はなかったようです。
濯がれる心
written by satoru
私は犬を飼っているため、必ず散歩に連れ出さなくてはいけません。近頃は散歩をするにはとても良い季節になりました。
いつも決まって深夜に出かけます。私の住んでいる町は静かな住宅街なので、静まり返った道路を独占するのはとても気持ちが良いものです。今夜は特に夜空が美しく、透き通るような深い紺色の空ににちりばめられた星々と半月は、まるで磨き上げたばかりの指輪のようにキラキラ輝いていました。
私が妻と恋に落ちた沖縄県ケラマ諸島でのキャンプの夜は、夜空というより星空という方がぴったり、満天の星で眩しいくらいでした。いつまでも眺めていて飽きないその空のもと、私は初めて彼女を抱きしめました。当時17歳、恐ろしいほどの時が流れ、今日突然その日のことを思い出しています。吸い込まれそうなほど透明感のある夜空に、私の心の雑念が吸い上げられたのでしょうか。思えば、今夜の夜空を見上げたときに、いつもと違う何かを予感していました。きっと、透明なものを見るとき、人の心は濯がれてよけいなものがなくなり、本質的なものをその中に映し出すことが出来るのでしょうね。おそらく・・・。
ものは言いよう
written by satoru
後輩の結婚式での思い出ですが、沖縄県の中部にある東南植物園で開かれたその結婚式は、それはもう開放的で素晴らしいものでした。その植物園は観光客も多く訪れるのですが、通りかかるすべての人々が笑顔で結婚する二人を祝福していました。雲一つない晴天に助けられて、何もかもが順調に進んでいたのですが、牧師の祝辞の真っ最中、突然アメリカ空軍の戦闘機が5機編隊で真上を通過したのです。騒音が鳴り響き、牧師の声はもちろん、隣の方の声でさえ聞き取れなくなるほどでした。ご存知の通り、沖縄県中部には東洋一のアメリカ空軍基地があるため、演習等が日常茶飯事的に行われています。
しかし、そのときの牧師の対応が見事でした。戦闘機が飛び去った後、「アメリカ大統領もこの結婚を祝福しています」と言ったのです。この気の利いた対処のおかげで、結婚式から戦闘機の悪いイメージが吹き飛んでなくなってしまったのです。まさに、「ものは言いよう」とはこのことです。
時に、私たちは言葉によって救われると言う体験をします。「あの一言で気が楽になった」なんてことないですか?日本人は昔からいいことを言っています。「親しき仲にも礼儀あり」人間関係を健全に保つのは、やはり礼節を重んじるというところから始まるんでしょうね。夫婦の間でも礼儀を欠いては、うまくいきません。聖書では、男のあばら骨から女を造ったと記されています。ですから、アダムがエバを見たとき「これこそ、ついにわたしの骨の骨、わたしの肉の肉」と言ったのです。なんだか良く分かりませんが、「自分の身体の一部のように愛おしい」という意味らしいです。互いに身体の一部のように尊重し合い、礼儀を尽くす生き方はとっても魅力的ですね。